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バランス

また葬儀の話で恐縮です。
あんなに父に文句を言っていた母ですが、とても悲しんでいました。
祖母の葬儀の時も、ぶつぶつと言いながら(本人には言いませんが)、介護をしていた母は悲しんでいました。
その時、とても奇妙な感じを受けました。
父に文句を言う母と、父を大切に思う母が同一人物だとは、私には思えなかったのです。

有か無か、○か×か、どちらかしかないと私は思い込んでいるみたいです。
ほどほどというところを学習してこなかったようです。

人と喧嘩をしたら一生仲直りできないと思い込んでいます。
人と親密に付き合ってこなかった一因かもしれません。

この極端な考え方は自分にも向けられています。
「今泣いたカラスがもう笑った」、私には理解できないことでした。

人はみんな両極性を持っている、程々がある、これから学びたいことです。

怒り

生き辛さのきっかけは親だったかもしれないけれど、結局は自分が原因なんだという思いにいたったブログがあります。
りんりんさんの「歩いていこう
怒りの解放シリーズ、今年の7月の記事です。

ちょうどその頃、私はなぜ怒りを感じないのか考えていました。
小学生の頃、怒りを感じると同時に、自己嫌悪と自分の主張が認められない悲しさを感じていたことを思い出しました。
私はつかんだものを大事に持っている性分のようで、そういった負の感情を感じたくないために、心に蓋をしてしまったのだと思います。
社会人になる頃には、怒る資格のないダメ人間だと自分のことを考えていたのですね。
怒ってもいいのだと人から言われても怒ることはできませんでした。
自分で自分を縛りつけていたのです。

生き辛さの原因に気づいてから、それは親のせい、自分は悪くないと思っていました。
今思えば、そういう時期も必要だったのだと思います。

同じ頃、自分の感情を感じることの重要性がわかってきていました。
自分を守るために怒りを感じることの必要性がわかったのも、この時期でした。

そんな時、TATSUさんの「マグダラのマリアの物語」を、りんりんさんのブログ経由で読みました。
この物語も、りんりんさんのブログも、何回も読んでいましたが、ある時、

彼女は確かにこれまで、多くの罪を犯したが、

深く反省し、悔い改め、なんとか、愛を実践したいと、

わたしの前にあらわれたのだ。

彼女が悔い改めたことは、彼女が多くの愛を示したことでわかる。

少しだけゆるされる者は少ししか愛さないが、

多くゆるされた者は、多く愛することができる


ここで、涙があふれ、しばらくは先へ読み進むことができなくなりました。
私は赦されている、そんな感覚がありました。
私は怒ってもいいのだと思えるようになったのはそれからです。

同じ頃、ある不思議な体験をして勇気づけられました。
いろいろな事が重なり、私はずいぶん解放されました。
皆様に感謝です。

その後、「母は母、私は私、別の人間なんだ、これからは私の道を行きます、さようなら」
と思えるようになりました。
先日の葬儀で、母から要らぬレッテル貼りをされましたが、言葉が通じない人には言い返しても無駄と思い、
「ああそう」で終わりました。
外から見える反応は以前と変わりませんが、モヤモヤは残っていません。

今日のつぶやき

私の父は大酒飲みのヘビースモーカーで、そのことで母から文句を言われていた。
だが、父は言い返しはせず、酔うと寝てしまい、私にとって父は稼いでくるだけの人だった。
私は、父に対する文句、愚痴を母から聞いて育った。
母の言葉にうなずいていた私は、母は大変な苦労をしていると思い、父はどうしようもない人なのだと思ってきた。
父の母である祖母も同居していて、父を可愛がり、嫁である母とは仲が良いとは言い難く、私が小学校へあがる頃にはそんな家の事情を察知していた。
おばあちゃん子だった私は、どうすれば丸く収まるか、時と場合によって誰の味方に着くか決めていた。
みんな仲良くして欲しかったのに、願いがかなうことは無く、家族みんなでハッピーという思いを私は持ったことが無いのだと、今さら気付いた。


私事で恐縮なのだが、先週、父が亡くなり実家へ帰省してきた。
インナーマザーという、実際にはいない母が私に住みついているのに気付いてから、父への誤解も解けた。
父は亡くなる数日前に、子ども達に会いたいから呼んでくれと言った。
そう、素直に言えることがすごいと思った。
私よりさらに離れた所に住む妹も、その次の日に日帰りで駆けつけ、父の最期の元気な日に会うことができた。
ただ会うだけだったが、思いはきっと伝わるはずだ。
父には、今までありがとうと言ってお別れすることができた。
最後の最後だったけれど、気付けて本当によかった。

今日のつぶやき

先日、父に呼ばれて日帰り新幹線の旅で帰省してきた。
夏休みには、家で何とか生活していたが、体調を崩し入院している。
そんな父を母はまだ責めていて、父が可哀想だった。
私は両親がいたわり合っている姿を見たことが無い。
どこの家もこんなもんなんだろうと思っていたので、
「私の両親はいまだにラブラブだ」
と誰かから聞き、結婚後何十年たってもラブラブ夫婦がいると知って驚いた。
これ、私が33歳くらいの時。

私は、優しさを夫へどう表現したらいいのかわからなかった。
優しさが私の中にあったのかも定かではない。
私の不機嫌が夫にもうつっていたのか、私も夫はいつも不機嫌だと思っていた。
ものすごい思い込みの世界だ。
私の周りには黒いまゆの様なものが何層にも重なっていて、事実を見ていなかったんだと思う。
恐ろしい事に、このまゆで自分も見えなかったから、周りにまゆがあったのではなく、私がまゆそのものだったのだ。

ワンコを叱りつけて育てたのも、母と同じように犬育てをしたのだと今なら思う。
しつけ本や先輩の指導のためではなく、私はどう褒めればいいのか、わからなかったのだと思う。
ワンコには、本当に申し訳ないことをしたと思い、今は精一杯の愛情を示しているつもり。

まゆが少し剥がれてきて、言葉が理解できるようになった。
ドラマの何気ないセリフに共感して涙が出る。

まゆにつつまれながら、よく今まで生きてきたと、よく頑張ってきたねと、自分で自分に声をかけられるようになった。

良い物を買った方が

先週、一回目の着付け教室があって、その後すぐ、先生と一緒に着物を見に行きました。
そこは、教室と経営が一緒で、生徒さんもよく来るのですよという呉服屋さん。
当然、買う気はありません。
どのような品揃えでいくら位するものなのか知りたかったので、急きょ、誘ってくださった先生と見に行きました。

一反お値段約15万~。。。どんな用途の着物か聞くのを忘れてました。
プラス仕立て代、いくらか聞く気にもなれませんでした。

お店の方や先生は、
とりあえずで安い着物を買っても、着ないことが多い、
(出かけるところが限られてしまうから)
品物が悪いと、膝のあたりの生地が延びて、格好悪い、
やっぱり良い物を買わないと、子ども、孫の代まで着れますよ。

その時は、なるほどねと思いながら聞いていたのですが、次の日、よ~く考えてみました。
私は良い着物を着てかしこまったお出かけがしたいのではなく、気軽に着物を着て外出したい。なら、洗濯できる着物で充分。
きている着物の質でその人が判断されてしまうのだろうか、と深読みしながら、素人には分からない世界があるんだろうと思ったりしていました。

値が張る着物は気軽に買えませんが、これが数万の洋服だと、うっかり買ってしまう。
お出かけ用に買ったのに、数回しか身につけていない物、はい、持っています。
新しい洋服など、もったいなくてタンスにしまい込み、翌年着れば良い方、何年もたってから着たりしていました。
Tシャツでさえ、ははは。

お店では疲れました。
まわりの人に気を使い、私がどうみえているか気を使っていたのでしょう。
疲れない時は、自分に素直な時、自分が感じられている時ですね。
プロフィール

ちえ

Author:ちえ
49歳、既婚、夫、犬一匹と、広島県で暮らしています。

私自身の生きづらさがあり、AC回復のセッションを、2010年4月から「あなここ」で受けてきました。

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