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セッションの感想

4月から、あなここのセッションを受けて、9カ月が経ちました。
告知もありましたが、
このまま続けて、意味があるんだろうか、という迷いがあり、
えいっ(やけくそ)
一月から中断を決めました。


なぜセッションを始めたのか思いだして見ると・・・オイオイ
楽に生きる方法を知りたかったからでした。
楽がどういう状態か、このときは別世界が広がっている、くらいに考えていました。

わかってきたこと、
心に蓋をして、本心を見ないようにしてきた
本心がわからないから、偽りの自分をつくり
偽りの自分でいる状態は、楽ではなかった
という、楽ではなかった状態を自覚したことでした。


セッションでは、本心を語っているつもりでも、本心ではないと見破られていたようです。
私は、のらりくらりと、逃げていました。
それが本心です、という開き直りの術。
私は本心を語っているという思い込み。
ところが、なんだか、すっきりしない。

セッション中のモヤモヤを突き止めていれば、
癖を指摘された、と思えるのでしょう。

ところが、
痛みは一度でたくさん(覚えあり)、もうやだ~ 

モヤモヤ~

モヤモヤは私の感じ方の癖、その癖を持っている私が悪いんだ
速攻、私の安全な場所へ引きこもる


セッションは、モヤモヤだけではありませんでした。
モヤモヤするけれど、その奥に何かがある。

セッションの、楽しい感覚に浸かっていたい・・・後ろに行けない
モヤモヤはいやだ・・・前に行けない

えいやっ止めたる(≧▽≦)
あきらめに近かった


いま、
楽に生きるには、自分の心、本心を知り、開示できることなんだろうと思うようになりました。
言いたいことを閉じ込める苦しさが、よくわかった。

そして、人と関わることで、楽しい感覚が得られる、こともある。
自分に正直になることは、自分を偽って飾るより楽である。

誰かと一緒に心の底から笑いたいから、他人と関わる^^
一緒に、怒ることは、まだ、できないのですけど、自分の怒り(過去閉じ込めてきた怒り)を知らないので。



みなさま、大変お世話になりました。来年も、よろしくお願いします。

    (*^_^*)


来年は、モヤモヤをつきとめまする。

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怒った~^^

私は悪くない、怒ってもいい
初めてそう思った。

「はい」と返事はした。
おざなりだけど。
そして、がお~と心の中で火を噴いてみた。

そのあと、笑いがこみあげてきたのは、
ほんの少し前に、別の人と、
「あの人と朝から2回も話ししたよね」などと、会話をしていたので、
私が理不尽に怒られた、注意された、ということを、わかってくれている人がいたから。

味方がいるということが、こんなに気持ちを落ち着けてくれるものだとは

行き違いがあったとは思う。
私が、もう少し念を入れて確認をしておけば、防げたかもしれない。

聞いた方がいいのか?言った方がいいのか?、と思ったら、口に出す、言い方に注意、
これ、職場での課題\(^o^)/

キャンペーン中?(追記しました^^;)

途中で終わってましたね


ビジョンを持とう

ビジョンて何?ここで悩む~。
例えばどんなことがビジョンなの?
例えば?と聞きたくなる。
間違った答えを言うのが怖いから。

これまで、何か決める時、自分で決めてきた。
進学、就職、結婚、その他もろもろ。
小さい頃は、親に許可を求めまくっていたけれど、
親が口出しをしなくなってからは、
自分で決めていた。

実は、
親に文句を言われないように
自分で決める。
いつも、親のために、何かを決めていた自覚は、当時から大あり。
それが、おかしいとは思っていなかった。

でも、40歳の頃、このまま人生が終わるのか、終わっていいのか、
初めて悲しみと、後悔を感じ、
このままでも仕方がない、私が選んだ人生なのだから、
諦めたのを、覚えている。


それは終わりにしよう
自分の人生は自分で決める
そういう人になる

どういう人になりたいか、自分で決める
という今のビジョン

あきらめない

褒められるということ

先月中旬から、午前中、働いています。
スーパーの裏で、お弁当を詰めたり、惣菜を作っています(^^)

また、思いがけず、となりの部屋から、声をかけられました。
別の部署の方で、顔を見たことあるかも?程度の方です。
「○○はもう覚えたんだね」
こんな感じ^^;
それがまた嬉しくて(T▽T)

この感覚が、前はなかったのです。
褒められたのはわかるけれど、褒められたとは思わなかった。
むっつりするのも変だから、笑っておこう。。。

○○ができるのは当たり前、それを褒めるあなたはどうかしている

そう、思っていました。
傲慢、優越感、だったのかもしれません。

今回も、本当に簡単な作業で、できて当たり前なのですが、
別の作業をしている方、私の上司でもない方が、
私が、新人なのを知っていて、声をかけてくれた、
褒め言葉も だけど、その気持ち、心遣いが嬉しかった。


過去、なぜ褒められた気がしなかったのか、褒められても嬉しくなかったのか、
私は、できて当たり前
(あなたが褒めるのも当たり前・・・(*_*; )
という気持ちがあったから、褒められたことを自分で打ち消していたのだと思います。
相手の気持ちを知らなかった、知ろうとも思いませんでした。

できて当たり前、これも、傲慢に感じますね。
今は、人には、出来ることと、出来ないことがあるって、頭ではわかっています^^;

よく、認めてもらうために、何かをしていましたが、
認めてもらって当たり前
あなたが認めるのは当然
そういう気持ちがあったので、
認めてもらった、私はよくやった、ということがわからなかったし、
嬉しいという感覚も気持ちも湧かなかったのだと思います。

ACならでは、の思考? じゃあ認めてもらおうと思ってはいけないのか?^^
良い、悪い、思考からは抜けようと思っていますが、どうなんでしょうね。

今、考えていることは、
認めてもらうために、という気持ち、認めてもらうために何かをする
認めて欲しい、という気持ち、何かをして認めてもらったら嬉しい
この二つには、違いがあるのではないか、ということ。

とりあえずは、
相手のあたたかい気持ちを、素直に感謝することができた
ということで^^




ルール作り

借りの安心な場所から出る前に、
物事に正邪をつけないと気がすんでいないことを、自覚したほうがいいかもしれません。
自分のルールを作ることは、絶対に悪であると思っているけれど、本当にそうなのか。

物事には、二面性がある
物事は、つねにゆらいでいる、変化している

当たり前なんだけれど、なんとも不安定な状態が受け入れられないというか、片側から見たことだけに拘っているというか。


自分のルールによって、他人に不快な思いをさせてきた、ということを考えると、
ルール作りは悪いことではないかと思えてきます。

一方、ルール作りは悪ではなく、これから変えていく、または無くしていった方が、生きていくうえで楽である、と考えることもできます。
ルールを持っていない人は、いるのか?

いずれにせよ、反省すべきは私であり、人を変えることはできないから、私が変わるしかない。
ルールに気付いて、少しは楽になったけれど、どう楽になるのかは、未知の世界。
新たなルールを作りだしているかもしれない、気付いていないルールはたくさんある。
すぐに結果を求めないこと、新たに自分を攻撃する種を作るようなもの。


実行するうえで、引きとめる強力な力が働きます。
私が変わらないと、何も変わらない
それはわかっているよ、というところに落ち着き、
変わろうとするか、変わるまいとするか、その選択も私に任されている、と思うのでした。


自立した人が、他人の機嫌に左右されずに生きているとしたら、
私が他人に与えている影響を、必要以上に思い悩むのは自己満足かもしれない。
私が間違えていることを、その場で指摘できる人は、
他人を批難して自分が優位に立ちたい人と、そうでない人がいる。

プロフィール

ちえ

Author:ちえ
49歳、既婚、夫、犬一匹と、広島県で暮らしています。

私自身の生きづらさがあり、AC回復のセッションを、2010年4月から「あなここ」で受けてきました。

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