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似て非なるもの

「私が悪かった」と思うこと

私の罪悪感の裏には、怒りがあると、確信しています。
罪悪感のもとをたどれば、母に対する訴え。

私のことをわかってよ

友人なら、去ることもできるでしょう。
でも、一番わかって欲しい母親と別れることは、できませんでした。
わかってもらえない気持ちは怒りとなり、母にぶつけてみるものの、解決した例があったかどうか。

私にも、反抗期というものがありました。
母はわかってくれた、という手ごたえは、全くありませんでしたが。

わかってもらえない理由、一番納得のいく理由が、
「私が悪かったから、わかってもらえないんだ」と思うこと。

罪悪感の裏には、
「私のことを、誰かわかってよ!」
「私が悪かった、あなたが正しい、そう思うから、私のことを認めてよ!」
「どうして、わかってくれないのよ!」
という、他者に対する訴えがある。

口に出して言えばいい、と思う方も多いでしょう。
言っても、母に伝わらないことがわかっているから、口に出すことを止めました。
言っても無駄、それは身にしみついた癖となりました。
そのうちに、言いたいことは心の奥にしまい込み、自分ですら気付けなくなっていました。

何を訴えたいのか、それを知ることができるのは、私だけ。
それを知るのが怖い、見たくない自分がいるから。
それを知った人は、私から去っていくだろうと思っているから、言えない。


もう一つ、「私が悪かった」というより「私が間違っていた」と思うこと。
反省、というものでしょう。
自分の過ちを認め、これからどうするか、自分で決めるという姿勢。

罪悪感を持ちつつ、反省はできるのか?
私は、この二つの区別がつかないでいました。

見たくない自分を、
見つけて、
認めて、
許して、
受け入れて、

どんな過ちでも、私は私を嫌いにならないと思えること
それから、反省ができるのだと思いました。

私の過ちを知っても、去らないでくれる人がいると思えることは、どんな励みになるでしょう。


これからですね、私の反省は。

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過去記事は・・・

過去記事が読みたくない(T_T)
に、かすかにリンクした気持ちがある。

母の実家、新年会かお盆の人寄せ
大勢の大人たち
「前はこうだったのに、大きくなって~~はははは」
おじ、おばの会話

いとこのなかでは、私は上から二番目の年長、
たぶん、私に向けられたものではなく、年下のいとこに向かって言っていた会話を聞いていたのだと思う。
その会話から私が受け取ったメッセージは、

小さい頃の至らなさは、ばかにされる、
大きくなって、できるようになったことは、生意気になったと軽蔑される。

よ~く、思い出してみると、おじ、おばに、そんな魂胆はなかったと思う。
冷たい目はしていなかった。


どうして、そういう解釈をするようになったのかは不明だけど、
私が、人の言葉を曲げて解釈していた、ということになる。

過去は、ばかにされる、笑われたくない(T_T)
そんな自分を見たくない、という理由に加えて、


何気ない会話から、他人と自分を比較して、だから自分はダメなんだと自己否定にもっていく。
これは、たいへん覚えあり。
比較して、頑張ろうって思ったこともあった。
でも、できすぎると、また居心地悪いから、安心できる適当なところに落ち着く。

過去の自分と今の自分を比較して、自己否定できるところを探して、
過去の自分、または現在の自分に向かって攻撃。
でも、自己否定、自己卑下はしたくないから、読みたくない~(T_T)


自己分析したからと言って、すぐ過去記事が読めるようになる訳ではないんだけど。
ふ~

大切にされてるセンサー

ある方のコメントの返信を考えているうちに、思いました。

私は大切にされている
そう思えるセンサーがあり、人により発達度が様々なのだと思います。

私は、センサーがあることに気付いていませんでした。
その前に、もっと大きな不安があったからだと思います。
なぜここにいるのか
ここにいていいのか

ここにいてもいいと思えるようになって、出てきたのが
私は大切にされる価値があるのだろうか、という不安。


大切にされていると思った経験が少なかったから
他人が私を大切にしているとは思えない、人間不信。

仮に、あなたを大切に思っています、というメッセージがあっても
私は受け取る資格があるのだろうか、と自分を疑い、
嘘じゃなかろうか、と相手を疑い、センサー動かず。


センサーが作動し始めたのは、人のあたたかさに、心が震える、感謝の気持ちがわいたからでした。

人として、大切にされた 

と思う体験をしたから。
相手を信じる気持ち、自分を信じる気持ちが育っていなかったら、できなかったことだと思います。
初めて、人から、見返りを求めない愛情を感じ、経験し、感謝しました。

そして、大切にされた経験が、我が犬を大切に思うことにもつながっています。


いまでも、人間不信、自分不信と闘ってはいます、一人でいる時は。




嘘も必要

職場では、いろいろな人がいるので、本音ばかりを話していられない。

ご機嫌を伺いながら、世間話で人間関係をつないでいるらしい・・・
職場は、本音を話すのが目的ではないし・・・

少しでも働きやすい環境をつくるには、嘘もやむなし。
本音を語り合える人が一人でもいたら、元気が出る。


嘘は悪いことではないのかもしれない。
どんな嘘かを、私が知っていれば、堂々と嘘つきになれるかも。

怒られた♪?

仕事中、「怒られた」♪という人がいて、
反応の仕方、言葉の選び方、私と違いすぎる、不思議な世界が広がっていました。

私が、怒られた、と思う時

「あなたが間違っている、正しなさい」 怒りの形相付き

私が悪かった、次からは怒られないようにしないと・・・

私は悪くなかったかも?という選択は無し
私が正す必要があるのか、ないのか?という選択も無し

罪悪感が心を覆っていて、
怒られて、悲しかったとか、悔しかったとか、
罪悪感以外の気持ちはわからなかった状態に近いのではないかと、
最近になってそう思うようになりました。

私にとって、怒りとは、
口答えを許さず、といった雰囲気を醸し出している空気。
近付きたくない・・・怖いもの。

それ以外なら、注意。
これも怖い。

提案も、従わなければならないもので、従いたくない自分、従えない自分を罰するか、
あなた何言っちゃってるの?上から目線状態、人をバカにしていたとでも言えばぴったりな感じ。
(この違いは、人で分けていたんだろうね。
 上から目線を悟らせないように、ニコニコしながら。)



仕事場で、不思議な世界だと思った時は、普通の会話に聞こえていました。

怒られた、と思う状況が、人によって違うのだ
と、やっと飲み込めた。


怒られても好きな人
が、少し違う意味に聞こえてきました。

怒る人は嫌い
でしたが、
怒られた、という状況を広げたら、
怒られても好きな人が、誰か出てくるかもしれません。

プロフィール

ちえ

Author:ちえ
49歳、既婚、夫、犬一匹と、広島県で暮らしています。

私自身の生きづらさがあり、AC回復のセッションを、2010年4月から「あなここ」で受けてきました。

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