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見捨てられ不安

人間関係を簡単にしちゃうブログ
まだ途中までしか読んでいないのですが、
なるほどと思ったことを書き記してみます。

「見捨てられ不安」について。

見捨てられる不安とは、
あなたがいないと困る
私はあなたから必要とされたい
と置き換えてもいいのではないだろうか。
もし、見捨てられたら、
あなたがいないと、生きていけない
あなたから必要とされない私は、価値がない、生きる意味がない
それを感じないように、生きてきた。

親が見捨てられ不安を持っていたら、
子どもに、自分(母親)がいないとダメなように思わせていく。
子どもは、親には自分(子ども)がいないとダメだと思うようになる。


そのまま、社会に出た子どもは、
自分の足で歩くことを知らず、
人に頼り、
頼られる存在になろうとし、
自分を犠牲にしていく。

それしか、生き方を知らないので。


そして、子どもは親となり、子どもを持ったとき、
子どもから見捨てられないように、
自分(かつての子ども)がいないとダメだと思わせていく。

私は、かつての子どもであり、
夫に対して、見えない糸で縛り付けていた。
縛られているのは自分だと思っていたのに、
実は、自分が縛っていたのだということに、気がついてしまった。
だれも自立しない世界。

気がついた私から、変えていくしかないのだ。
悔しいけれど、それしか選択できない。

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「読まれる」

何気なく発した言葉でした。
「読みの通り」

私のことを読まれた、そして、その通りである

読む、推察すること

「読みの通り」には、推察した時間と、推察された状態が現れる時間にズレがある。
誰かが、過去に、私のことを予測して敷いたレールがあり、
私は、現在その上に乗っかっている状態だ。

誰がレールを敷くか、によって、
やらされ感から怒りを感じるか、
怒りを感じたくない場合は、
推察された=見てもらっている、見てもらえて嬉しい。

「読まれた」ということは、
他人が現在の私のことを推察した、ということで、
その通りだ、ということは、
相手の推察を肯定して、
自分で自分のことを肯定することを放棄。


「読みの通り」と言った私は、
自分のことを他人に任せている、
他人に決めてもらって満足している状態であり、
その他人から見たら、
私は依存状態であることが、事実としてある。

知らぬは私だけ、ということなのでした。

プロフィール

ちえ

Author:ちえ
49歳、既婚、夫、犬一匹と、広島県で暮らしています。

私自身の生きづらさがあり、AC回復のセッションを、2010年4月から「あなここ」で受けてきました。

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